2013年5月に読んだ本の一言感想とリンク、印象的な一節の記録(Twitter+追記)。7冊。今月は特に『極北』が収穫。読後しばらくぼーっとしてしまった。
『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(川上和人 著)
『極北』(マーセル・セロー 著)
『ゴースト・オブ・ユートピア』(樺山三英 著)
『オープンサイエンス革命』(マイケル・ニールセン 著)
『チョッキー』(ジョン・ウィンダム 著)
『職業としての学問』(マックス・ウェーバー 著)
『読書について』(アルトゥール・ショーペンハウアー 著)
1.
『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(川上和人 著)を読了。うん、面白い。ここ10年くらいの恐竜学の進歩(特に羽毛恐竜関係)がいかに大きいかを、あらためて感じられた。「改めて、ここに高らかに宣言しよう。恐竜は、鳥も同然と!」
“ただし、私はあくまでも現生鳥類を真摯に研究する一鳥類学者である。おもむろに鳥を捕まえ、ことごとく計測し、容赦なく糞分析し、美女をこよなく愛する中肉中背の研究者だ。むろん、恐竜学に精通していないと胸を張って公言できるし、古生物学会にも地質学会にも入っていない。恐竜学という広大な海を横目に、ホテルのプールサイドでフライドチキンをむしゃむしゃ食べている程度の関係だ。このため、この本では断片的な事実から針小棒大、御都合主義をまかり通すこともしばしば見受けられる。あくまでも、鳥の研究者が現生鳥類の形態や生態を介して恐竜の生活をプロファイリングした御伽噺だと、覚悟して読んでほしい。いうまでもないが、この本は恐竜学に対する挑戦状ではない。身の程知らずのラブレターである。”
2.
『極北』(マーセル・セロー
著)を読了。深く重い余韻を残す、“破滅した世界”での生存者の話。極寒の地の苛烈な環境、獣性と人間性の間を行き来する人々、文明の残り香と傷跡、絶滅への恐怖、再生への希望。
“書かれているのを目にしたことはあるが、実際に音として耳にしたことがない言葉はたくさんある。どのように正確に口にすればいいのかはわからないのだが、中でもそいつが他のすべての恐怖の背後にあるものだと、私は知っている。
そいつを怖がることはまったく理にかなわない。なぜならそいつが姿を見せるとき、人はそこには居合わせないからだ。人は空腹を恐れ、寒さを恐れ、病気の痛みを恐れる。しかしどうしてそいつを恐れなくてはならないのだ? なのにそれでも、そいつは私の心を苛む。暗闇の中で、私はそいつにばったり出くわすことになった。少女がそれらの言葉を語るのを耳にしながら。
私が恐怖するのは「絶滅(annihilation)」だ。”
3.
『ゴースト・オブ・ユートピア』(樺山三英 著)を読了。古今東西のユートピア/ディストピア作品をモチーフにした連作集。頭が混乱させられる。やはり最初の「一九八四年」が印象的かなぁ。
(印象的な一節はメモし忘れたので省略)
4.
『オープンサイエンス革命』(マイケル・ニールセン
著)を読了。17世紀の科学雑誌システムの発明に続く、オンライン技術を用いた2回目の知の共有化の革命が近いという話。科学雑誌に論文を載せるという形式はいつまで続くんだろうなー。
“私は、科学コミュニティに新しい希望の灯を燈すことを目標に本書を執筆した。指向を補助する強力なツールを構築する能力を、史上初めて手にした私たちは、歴史の新たな局面を迎えようとしている。つまり私たちは、知の構築方法を変えるチャンスを目の前にしているのだ。ところがその先兵となるべき科学コミュニティは、今のところ殿を歩んでいる。ほとんどの科学者は既存のやり方に固執し、より良い方法を求めて努力している人々を支援しようとはしない。第一次オープンサイエンス革命のときと同様、インセンティブを与えることで、あるいは必要なら強制することによって、オープンサイエンスに科学者を導き、このチャンスが無為に失われないよう努力する必要がある。努力と献身があれば、必ずや私たちは科学のあり方に革命をもたらすことができるだろう。”
5.
『チョッキー』(ジョン・ウィンダム
著)を読了。マシュー少年にだけ聞こえるチョッキーの声。空想、精神疾患、それとも…という話。少年期の葛藤、成長、卒業。周囲の大人たちのドタバタがサスペンスフル。
“「いや、チョッキーはたしかに存在するのです。もちろんぼくも最初はあの子の潜在意識が産み出した非現実の人格だと考えました。だがすぐにそうでないと確信したのです。それならチョッキーはどこに存在し、はたしてなに者なのか? そこに至ると、いまのぼくにはお手上げです――息子さんにしてもおなじでしょう」
それはメアリーが耳にしたくない言葉だった。「マシューにとって、チョッキーが存在するのはわかります。あの子にはまちがいなく現実なのでしょう。だからこそ、わたしたちもあの子に話を合わせてきたのです。でも……」
ランディスは彼女の話をさえぎった。
「いえいえ、チョッキーはそうした限定なしで、明白に存在します。たとえそれがなんであれ、息子さんが創り出したものでないのはたしかです」”
6.
『職業としての学問』(マックス・ウェーバー
著)を読了。東大法のHさんが「青春の一冊」に挙げていた本。学問論というか科学論としても面白いと思う。
“以上のような学問の意義に関する諸見解、すなわち「真の実在への道」、「真の芸術への道」、「真の自然への道」、「真の神への道」、また「真の幸福への道」などが、すべてかつての幻影として滅び去ったこんにち、学問の職分とはいったいなにを意味するのであろうか。これにたいするもっとも簡潔な答えは、例のトルストイによって与えられている。かれはいう、「それは無意味な存在である、なぜならそれはわれわれにとってもっとも大切な問題、すなわちわれわれはなにをなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか、にたいしてなにごとをも答えないからである」と。学問がこの点に答えないということ、これはそれ自身としては争う余地のない事実である。問題となるのはただ、それがどのような意味で「なにごとも」答えないか、またこれに答えないかわりにそれが、正しい問い方をするものに対してはなにか別のことで貢献するのではないか、ということである。”
7.
『読書について』(アルトゥール・ショーペンハウアー
著)を読了。辛辣な言葉が多くて耳に痛いけど、とにかく「駄作な書物は読むな/書くな」という話。どの本を読まないかの選択もまた重要ということ。
“また物書きには三通りあると言える。一番目は考えずに書くタイプ。記憶や思い出、あるいは他人の本をそのまま借用して書く。このタイプはたいへん数が多い。二番目は書きながら考えるタイプ。書くために考える。このタイプもよくいる。三番目は書く前からすでに考えていたタイプ。考え抜いたからこそ書く。このタイプはめったにいない。”