2013年5月4日土曜日

読んだ本まとめ 2013年4月 Book memo (Apr. 2013)


20134月に読んだ本の一言感想とリンク、印象的な一節の記録(Twitter+追記)。8冊。

『大学とは何か』(吉見俊哉 著)
『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』(ブラッドレー・ボンド&フィリップ・N・モーゼズ 著:1-4巻)
『潮風の下で』(レイチェル・カーソン 著)
『スラムオンライン』(桜坂洋 著)
『火星の砂』(アーサー・C・クラーク 著)
『ジュラシック・パーク』(マイクル・クライトン 著:上下巻)
『東大教師 青春の一冊』(東京大学新聞社 編)
『ゴーレムの生命論』(金森修 著)

1.      『大学とは何か』(吉見俊哉 著)を読了。前半は、中世イタリアのボローニャ大学に始まる、世界における大学の誕生、衰退、再生の歴史。後半は、日本の大学システムの変遷の歴史。出版文化との関係など、メディア論的な視座が面白い。
“それでももし、本書を貫いて大学に何らかの定義が与えられるのなら、それはたぶん次のようなものだ。――大学とは、メディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ。メディアとしての大学は、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する。その媒介の基本原理は「自由」にあり、だからこそ近代以降、同じく「自由」を志向するメディアたる出版と、厭が応でも大学は複雑な対抗的連携で結ばれてきた。中世には都市がメディアとしての大学の基盤であり、近世になると出版が大学の外で発達し、国民国家の時代に両者は統合された。そして今、出版の銀河系からネットの銀河系への移行が急激に進むなか、メディアとしての大学の位相も劇的に変化しつつある。”



 2.      『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』(ブラッドレー・ボンド&フィリップ・N・モーゼズ 著:1-4巻)を読了。ネタ満載のニンジャサイバーパンク。Twitterでの“翻訳”連載、中毒性が強烈な独特な「忍殺語」など、色々と前衛的。
“世界全土を電子ネットワークが覆いつくし、サイバネティック技術が普遍化した未来。宇宙殖民など稚気じみた夢。人々は灰色のメガロシティに棲み、夜な夜なサイバースペースへ逃避する。政府よりも力を持つメガコーポ群が、国家を背後から操作する。ここはネオサイタマ。鎖国体制を敷く日本の中心地だ。 
一週間前から重金属酸性雨は止み、灰色の雪へと変わっていた。マルノウチ・スゴイタカイ・ビルの最上階展望エリアでは、カチグミたちがトクリを傾けあっている。ビル街には「コケシコタツ」「魅力的な」「少し高いが」などとショドーされた垂れ幕が下がり、街路を行き交う人々の購買意欲を煽っていた。”


3.      『潮風の下で』(レイチェル・カーソン 著)を読了。海鳥、魚、プランクトンなど、アメリカ東海岸の海洋生物たち、そして「食う/食われる」など生物同士の連環を、鮮やかにいきいきと描いた自然文学。海辺→海中→深海底の3部構成。
“数十億のウナギの稚魚が、黒くて針でつついたような数十億対の眼で、深淵に横たわる不思議な海の世界をじっと見つめていた。ウナギの目の前ではミジンコの群れが休みなく生命のダンスを続け、彼らの透明な体は海面からさしこんでくる青い光を受けて塵のかけらのように輝いていた。すきとおった鐘のような形をしたクラゲは、その壊れやすい体を、一平方センチあたり四十キロもの水圧に適応させて息づいていた。翼足類の群れが、さしこんでくる光を避けて、じっと見つめるウナギの目の前をはき落とされるように降ってきた。その体は短剣のような形やらせん形、円錐形の奇妙な形をしていてガラスのようにすきとおり、光を反射して氷の粒のように輝いていた。小さなエビがほの暗い光の中から青白い幽霊のように現れた。エビはまるい口とたるんだ筋肉を持つ青白い魚に追いかけられた。その魚の灰色のわき腹には宝石のように光る器官が列になってついていた。”


4.      『スラムオンライン』(桜坂洋 著)を読了。リアル(大学生活)とバーチャル(オンラインゲーム)の狭間で揺れる青春。発行当時(2005年)に主人公とほぼ同年代だったせいか、描かれているゼロ年代前半の空気感になんだか懐かしさを感じる。
“「よくわからん。子供ってのは、どうしてこんなものにハマるのかね」 
「闘争の場なんだよ、社長。その現代版。大人も子供もない。階級もない。そういうの、社長もむかしはやったクチだろ」 
「ゲームの中で闘争なのかね?」 
「社会の革命だって内ゲバだって、フタを開けてみたら結果はリアルじゃなくてバーチャルだっただろ。共通言語ってのは自分たちで見つけることに意味があんの」 
「なるほどねえ」”


5.      『火星の砂』(アーサー・C・クラーク 著)を読了。1950年代の古き良き宇宙開発SFという感じ。書かれた時代的に仕方がない面もあるけど、科学面でもどうしても古さを感じてしまうな。。。
“既知の世界から未知の世界へ容赦なく連れ去られていくというのは、死の訪れのように、じたばたしても始まらないという感じだった。大切なものをすべて後に残し、裸かの魂もこのように暗黒と夜の中に入っていかなければならないに違いなかった。”


 6.      『ジュラシック・パーク』(マイクル・クライトン 著:上下巻)を読了。映画のイメージが強いけど、原作もさすが。20年以上前ながらハードな科学性(とはいえ恐竜学もこの20年でだいぶ進歩した)と、手に汗握るエンターテイメント性。
“膝の力がぬけ、ネドリーは地面にころがった。頭がウロコでおおわれた冷たいものにあたった。恐竜の脚だった。と、それまでとはまたべつの痛みが、顔の両脇に走った。痛みはどんどんひどくなっていく。立ちあがろうとしたとき、やっと痛みの原因がわかった。自分の頭を、恐竜の顎ががっぷりと咥えこんでいるのだ。究極の恐怖は、一刻も早くこの苦しみがおわってほしいという、切なる願いにとってかわられた。”


7.      『東大教師 青春の一冊』(東京大学新聞社 編)を読了。僕も編集部員として現役のころ連載が始まった、東京大学新聞の人気企画をまとめた本。各先生の原点や、青春の時代の空気が感じられるのが面白い。
“もちろん、東大教師は決して一般的な人生のモデルではない。相当に特殊な人々で、社会全体がこんな人々だったら、たちまち日本社会は崩壊してしまうだろう。しかし彼らは、日本でもっとも多く本を読み、膨大な知と向き合い、何がしかを本気で深く考え続けた人々なのだ。彼らの「青春の一冊」、つまり人生を決めた一冊を知ることは、冒頭に述べた「すでに」と「まだ」の中間にたたずむ読者の未来に、圧倒的に役立つに違いない。”


8.      『ゴーレムの生命論』(金森修 著)を読了。<人間未満の人間>であるゴーレムを切り口に、命と人間について考える。ユダヤにおける位置づけ、文学・映像作品での扱い、現代生命科学がもたらしうる<科学的ゴーレム>。
“<命を創る>というキーコンセプトを介して、ゴーレムはそれなりの変身を遂げ、科学者の作業に忍び込む。現代の生命科学は、土から動く生体を造るというゴーレム伝説がもつ魔術的な雰囲気を、科学的知見の集積によって取り払い、<人工生命の創造>という、従来、文学空間の中でより生き生きと作動していたテーマを実験室内部に誘導しつつある。”