2013年7月に読んだ本の一言感想とリンク、印象的な一節の記録。10冊。
『60年代日本SFベスト集成』(筒井康隆
編)
『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ 著)
『果しなき流れの果に』(小松左京 著)
『火星ダーク・バラード』(上田早夕里 著)
『ヴァリス』(フィリップ・K・ディック 著)
『てのひらの宇宙 星雲賞短編SF傑作選』(大森望
編)
『2001年宇宙の旅 決定版』(アーサー・C・クラーク 著)
『2010年宇宙の旅 新版』(アーサー・C・クラーク 著)
『アリの巣をめぐる冒険 未踏の調査地は足下に』(丸山宗利 著)
『われらをめぐる海』(レイチェル・カースン 著)
1.
『60年代日本SFベスト集成』(筒井康隆 編)を読了。まず冒頭の「解放の時代」に驚愕。星新一こんなの書いてたのか…! 「機関車、草原に」や「幹線水路二〇六一年」で描かれる廃墟の情景も好き。「わがパキーネ」「レオノーラ」も面白い。
“おれは空港が好きだ。だからこそ、この職を選んだのだ。空港には別離や再会など、人生の哀歓がうずまいている。祖父と孫の男の子が、別れをおしみながらセックスをしている。そうかと思うと、ぶじに帰ってきた姉を迎えて、妹がセックスをしている。どこかの宇宙基地への栄転を祝って、大ぜいがとりまいてセックスしているのもある。いずれも、こまやかな情愛のわきあがる光景だ。
しかし、そんなのに気をとらわれていてはいけない。おれは目を光らせたが、密輸関係者らしいものもいない。と、うしろから肩をたたかれた。”
――「解放の時代」(星新一) p.13-14
2.
『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ
著)を読了。生命倫理的な部分で心揺さぶられるべきなのかもだけど、むしろ子ども時代の不合理な行動の回想になぜか動揺してしまった。映画化もされてるのか。そして、SF寄りのいわゆる主流文学を、ここ最近何冊か読んで気付いたこと。文学では「人間同士の関係性」が主題になることが多いけれど、自分はあまりそれには興味が湧かないらしい。代わりに「人間がいかに世界に向き合うか」が魅力的に描かれていると面白いと感じるようだ。
“それでも、教えの一部は染み透っていたはずです。教えはどこかに潜み、私の一部になって、ああいう瞬間がやってくるのをじっと待っていたのでしょう。ひょっとしたら、もう五歳や六歳の頃から、頭のどこかには「いつか……そう遠くないいつか」と、ささやく声があったのかもしれません。「いつか、きっとどんな気持ちのものかわかるだろう」と。ですから、わたしたちはそれと知らずに、きっとあの瞬間を待っていたのだと思います。自分が外の人間とはとてつもなく違うのだと、ほんとうにわかる瞬間を。外にはマダムのような人がいて、わたしたちを憎みもせず害しもしないけれど、目にするたびに「この子らはどう生まれ、なぜ生まれたか」を思って身震いする。少しでも体が触れ合うことを恐怖する。そのことがわかる瞬間、初めてその人々の目で自分を見つめる瞬間――それは体中から血の気が引く瞬間です。生まれてから毎日見慣れてきた鏡に、ある日突然、得体のしれない何か別のものが映し出されるのですから。”
p.59-60
3.
『果しなき流れの果に』(小松左京 著)を読了。物語の時空間スケールがどんどん大きい方向にぶっ飛んでいき、諸行無常感を強く感じさせつつも、最後には静かな感動があるのが良い。
“何万光年も何億光年も彼方、いや光すらとどかぬ暗黒の彼方に、さらにまたたく、無限歳の年を経た無限の星たち――そしてその無限の星や、その星々を、光塵として集めて渦まく、巨大な星雲の無数をのみこんで、なおみたされぬ虚無の大洋――。その虚無の負圧は、あっというまに裸の彼を、星の表面から虚無の中心へと吸い上げ、そこで彼自身は、冷たくひえきった大理石のような塑像のような、一個の星のかけらとなり、虚無の大渦流にまきこまれつつ、不思議な光に輝く星から星へと経めぐりはじめるのだった。もはや心臓は凍りつき、熱い動悸はうたなくなったにもかかわらず、彼の胸は、生きることとはまた別な、冷たい歓喜に波うちはじめ、身は一かけの星屑と化しながら、なお無限と虚無の永遠と知りあうことに、はげしいよろこびを感ずるのだった。――おれはいま幸福だ。――と彼は思った。――おれはいま、自分自身の心のとじこめられた一世紀にもみたぬ束の間の生命、この日々をこえ、みずからのしばりつけられた時代、人の世とその歴史をこえ、長い長い生物の時も、星の歳月をものりこえて、ここに死と等質の堅固な心――もはや何ものにもうちくだかれぬ堅固な心となり、虚無と永遠の、謎と秘密にむかうことができる。これら、宇宙の極限に描き出される巨大未知の文学は、彼をして、あらゆる制約をこえたはてにある、純粋な「知ることの喜び」へといざないよせるのだ。”
p.74
4.
『火星ダーク・バラード』(上田早夕里 著)を読了。火星が舞台の、手に汗握るサスペンス。遺伝子改変による人類進化促進もテーマの一つで、『華竜の宮』にもつながる。個人的には「あり」と思ってしまう側。
“《(…)もし、あの実験で作られた子供が、私とグレアムの娘ではなくて、どこかよその子だったら――出所もわからない誰かの受精卵だったら――私は、ここまでグレアムの行為に反対できたかしら? どこかで妥協して、彼と一緒に研究を続けていたんだじゃないかしら……》
《そんなことはない。君は、きちんとした倫理観を持った女性だ。彼とは違う》
《本当にそうかしら。私とグレアムの間に、本当は、どれほどの差があると思う? 彼は正真正銘の開拓者だった。人類の未来と可能性を一〇〇パーセント信じている、ある意味、とても明るい心根を持った人だとも言えるわ。私はただ、そんな彼の明るさに、これ以上ついていけないと思っただけ。新しい技術や理論を打ちたてようとしたとき、それを『悪』だと定義できる基準は、本当に、確かにどこかにあるのかしら。その時代には全員が『悪』だと思っても、もしかしたら十年後には、真反対の価値観が生まれて全肯定されるかもしれない。私たちがいたのは、そういう危うい現場の最前線だった。私はそれを実感するのが、人より遅かっただけよ……》”
p.360-361
5.
『ヴァリス』(フィリップ・K・ディック 著)を読了。色々とぶっとんでいる。前半はなんじゃこりゃわけわからんと混乱しながら読んだ。「理路整然とした狂気」というのが全体を通しての印象。
“以前わたしがカリフォルニア大学フラートン校で講演したとき、ひとりの学生が現実の単純明快な定義をしてくれといったことがある。わたしはすこし考え、こう答えた。「現実とはそれを信じるのをやめたときもなくなってしまわないものだ」”
p.119
6.
『てのひらの宇宙 星雲賞短編SF傑作選』(大森望 編)を読了。さすがに粒ぞろい。「言葉使い師」「白壁の文字は夕陽に映える」などが好き。「山の上の交響楽」の設定に感心。「ダイエットの方程式」も思わず笑った。
“「いい感性だ。美しい。言葉を使えばもっとよくなる。もっとも言葉を使うには技術が必要だ。どんな動物をあつかうより難しい。人間をあつかうよりもだ」
〈しー、しずかに。声を聞かれたらどうするんです。警察に聞かれたら捕まってしまいますよ。言葉には魔力があるというから〉
「たしかにね。この世界を混乱に導き、崩壊させることもできる。言葉は人間の意識とは独立して存在し、世界を破壊する力をたしかに持っている。だから人間はテレパシーをつかう。自分の考えを言葉に盗まれないように、最大の注意をはらっているわけだ」
言葉使い師は微小をうかべて言った。きみにはかれの心が読めない。かれは心を完璧に閉ざしている。まるでそこに存在しないかにように。
「しかしどんなに言葉を拒否しようと、それは消えない。言葉はもう一つの現実だ。人間とは別の生き物といってもいい」”
――「言葉使い師」(神林長平) p.171
7.
『2001年宇宙の旅 決定版』(アーサー・C・クラーク 著)を(再)読了。最初に読んだのは、父親が昔買った旧版(実家の本棚に並んでいた)。自分の世界観や人生観にもけっこう大きな影響を与えてきた本な気がする。
“はるかな昔、この実験にとりかかった生物は、人間ではなかった。――人間に似たところはどこにもなかった。だが彼らもまた血と肉からなる生き物であり、宇宙の深淵を見はるかすとき、やはり畏怖と驚異と孤独を感じるのだった。力をたくわえるが早いか、彼らは星の海へと乗りだした。
探検の過程で、彼らはさまざまな生命形態と出会い、一千の世界で進化の仕組みを見まもった。宇宙の闇のなかで、知性の最初のかすかな光がきらめき、消えてゆくのをいくたび目にしたことか。
そして銀河系全域にわたって、精神以上に貴重なものを見いだすことができなかった彼らは、いたるところで、そのあけぼのを促す事業についた。彼らは星々の農夫となり――種をまき、ときには収穫を得た。
そしてときには冷酷に、除草さえもした。”
p.271
8.
『2010年宇宙の旅 新版』(アーサー・C・クラーク 著)を(再)読了。最初に読んだのはたぶん中学生のとき。現在の研究分野の選択にもつながる、マイ「青春の一冊」。そのうちBlogであらためて紹介する予定。
“「……地球に中継していただきたい。チエン号は三時間まえに崩壊した。わたしはたったひとりの生残りだ。宇宙服の無線を使っている。電波がどこまで届くかは心許ないが、道はこれしかない。どうか注意して聞いていただきたい。エウロパには生命が存在する。くりかえす――エウロパには生命が存在する……」
信号がふたたび衰えた。しびれたような沈黙があとにおりたが、それをあえて破ろうとする者はいなかった。”
p.117-118
9.
『アリの巣をめぐる冒険 未踏の調査地は足下に』(丸山宗利 著)を読了。アリと共生する昆虫の話。生物分類や新種発見が重要なのは承知しているけど、個人的にはむしろ生態的なところの方が興味あるかなぁ。
“本書の題にある「冒険」というのは少々大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、およそ普通の人には想像もおよばず、実際にアジアではほとんど研究されていなかったアリの巣の中という世界で新たな発見をすることは、私にとってまさに冒険というほかなかった。世界で誰も見たことのない生き物を見つける――その興奮は、登山家が未踏の山の頂上を制覇することに似ているかもしれない。決してまだ自慢のできる研究成果は出ていないが、「夢がある」という点では、私は自分の研究に少し自信がある。”
p.iv
10.
『われらをめぐる海』(レイチェル・カースン
著)を読了。60年前の海洋学入門。プレートテクトニクス以前だし、さすがに学術的記述には古さを感じるけれど、逆に昔の視点がわかって面白い。そして文章の詩情は色褪せない。
“大地や空や海のどの部分にも、それ自身独得の雰囲気、つまり自らを他のすべてから区別する性質とか特性といったものがある。私が深海の底について考えるとき、私の想像力を独占する、唯一の胸に迫る事実は、堆積物の蓄積ということである。私には、絶え間なく、一様に、上の方から下へ下へと漂い落ちてくる物質が見える。それは一片また一片、層の上に層をかさねて――すでに何十億年にもわたってつづいてきたところの、そして海と大陸があるかぎり、いつまでもつづくであろう物質の漂移である。”
p.123